優しさとか思いやりって何だろう
先日昔からよく行っていたお蕎麦屋さんへ久しぶりに訪れました。店はお昼時ということもあり大混雑で入り口で待たされました。
少し経つと二階のテーブル席に案内され、座ろうとしたら座面に水がこぼれていました。二階をパートらしき女性の方が一人で忙しそうに切り盛りされています。
私は直ぐに座れず立っていたので、おそらく「はよ座りや」と思っていたでしょう。そのテーブルは4人用で横にも椅子があり、それと交換しようとテーブルから椅子を引くと、割りばしの片方が座面にあり、私はゆっくりと椅子を戻し、忙しそうな店の方に「ティッシュでも良いので拭くものを下さい」と伝えました。
忙しいのに何を言ってるのかと思われてる感じでティッシュの箱をそのまま渡されましたが、水を拭くだけなので1枚だけ頂き、座面を拭くと「すみません」と私がなかなか座れなかったことに気が付き、忙しい中だが申し訳なさそうな声を掛けられた。
昼時は毎度の事で蕎麦が出てくるまでに時間が掛かるためゆっくり待っていると、見た感じ70歳くらいの男性が斜め向かいのテーブルに座られ、またその後で隣のテーブルに40歳くらいの女性が一人ずつ入ってこられた。
15分程待っていると突然大きな声で「まだか~まだなんやったらもう帰る」と店員に伝える声が聞こえた。斜め向かいの男性である。私は「いい歳してかっこ悪いなぁ、忙しいの分かってて何でわがまま言うねやろ」と思い、自分は仏教のお話で自我を小さく小さくしていくということも思い出し、
自分の気持ちを表すのではなく他者の状況を見て抑えることもできるのでは?と思ってました。
店員の女性は「今日は人手が足りなくて、遅れ気味になってます」と店の都合を言い、何か少し反抗しているようにも感じる言い方だった。
また5分後に70歳の男性が「まだか、もういいわ」と言われ、店員は「もう出来てますので」と応える。男性が「金払うからもう帰る」と直ぐに言う。すると店員が「もう上がってきますのであと少し」と・・・女性店員が慌てて階段で1階に降りて行き調理場に何かを伝えに行く。
2分後に「まだですか~」と女性の声が聞こえました。隣のテーブルの女性からだった。
私は「70歳の男性のを聞いて恥ずかしい大人やなぁと思ったのに、この人も・・・」と。
3分後に電子的な音声で「料理が上がりました」と聞こえ、この中で自分が一番待っているが、私のは後回しで先にこの方々に持って行って欲しいと心の中で願っていると、「お待たせしました」と私の所に1番に持ってこられました。
次に直ぐ男性のところへ女性店員が「お待たせしました」と持っていくと、その男性は「言ってみるもんやな」と言いながら受け取る。
暫くして隣の女性も到着し食べ始め、「何だかな~まぁこれで終わったな~」と安心して食べていると、また大きな声で「すみませーん」「お茶下さい」と隣の女性から・・・私は「汁蕎麦なんだから出汁飲んどけや、忙しいの見て分かるやろ」と思いながら、残念な気持ちがまたぶり返された気持ちになりました。
普段から少し仏教に興味があり笑い飯哲夫さんや古舘伊知郎さんのyoutubeなど拝見して「自我を小さくしていくことが、自分も他人も気持ちが楽になる」などのお話に共感してましたが、「ちょっと待てよ、そんな気持ちを持っていること自体が自我そのもので、俺も蕎麦屋の客の二人と一緒やないか!」と急にそんな思いが込み上げてきました。
結局は自分はわがままを言う人間になりたくはないという今までの環境(教育)やその記憶が自我となり自分から見て「いい歳して恥ずかしい・・・」と思っているのと違う方向で自我を出しているだけだと思いました。
「優しい人間になれ」「思いやりを持って・・・」など結局は人間社会で潤滑に生活するための言い方だけであって、そんな教育をされた人間の脳の記憶なだけで、相手の事を思うのではなく、自分がそういう人間でありたいというだけの事。自我を少なくなんて言い方を置き換えているだけで、それが真理ではないのではないでしょうか。
施設長 馬場
0コメント